the guitar plus me - それはほんとに急だった

それはほんとに急だった。なんだか、本が増えれば増えるほど思考はどんどん働かなくなり、iTunesライブラリの音楽が増えれば増えるほど音楽をだんだん聴かなくなった。本はまだ「本」があるからそこに身体性を感じられるのだけど、音楽にいたってはデータだって音楽で、データが主だと身体性も希薄だ。データばっかりで音楽の身体性を感じれていないのはちょっとどうなのかね。データには検索性の問題もあって、データがありすぎると「あ」から順にスクロールして見ていくのがなかなか面倒だったり、「欲求」と「聴きたい音楽」がマッチしていかない*1。CD棚があった時代は、ある程度目視で聴きたい音楽を見つけられたわけで。この感じ、昔もあったな?と思ったら、カラオケでカタログを「あ」から順番に見ていっていたのが、デンモクに移行していって順番に見るのが容易じゃなくなって、ある程度何を歌うか決めておかないと「それ」にたどり着けなくなってきたのと似ている(なんじゃらほい)。ここ最近、近藤麻理恵『人生が片付くときめきの魔法』を読んでいたのでそういうことを余計感じる。本や音楽が自分の(目視できる)許容範囲を超えているので、何が好きなのかよくわからなくなりがちなんじゃないかと思う。

この3月から都会をはなれて山がよく見えるような環境に住処を移動した。朝起きて家事をした後、自転車にのって水をもらいにスーパーに行く*2。西側に目を向けるとそこには大きな山がつらなっている。そんなわけで、山々を眺めながら国道を走る。ここ数日は音楽を聴きながら走る。昔は外を歩くときも自転車に乗っているときも音楽を聴いていたなあ、なんて思いながら走る。

それはほんとに急だった。the guitar plus meの「Frog」*3を聴いてたら、ギターと声+αのゆったりと動く世界の中に、急に、サックスが入ってくる。それはその音色そのものが自ら回転するように、リフレインして消えていった。静かで、雨の日や部屋の中が似合う、アコギつまびく孤独の音楽の中を、陽の光が差し込む午前中を、それは遠い遠い、山の切れ目の向こうから、夜と走馬灯をつれてきて、そして余韻を残して去っていった。国道が、山が夜に転化する。うちに帰ってデルジベットの「Flowers」*4を聴く。この曲にもサックスが入ってくるのだ。山々の見える空を切りひらくように、オセロが白から黒に切り替わるがごとく、ひろい空が青から黒へとひらり転換する。サックスが都会の夜を連れてきたのだった。*5

*1:コンピレーションアルバムは"compilation"というフォルダにあるからアーティスト単位でソートすると出てこない。なのでアルバム単位でソートして「あ」とか「さ」とかから順に見たりするけど、当然ながらアーティスト単位より量は膨大になる

*2:イオン系列のスーパーでは4ℓの水をただでもらうことができる。要会員だけど会員になるのは無料。水を入れる容器は購入が必要

*3:the guitar plus meの1stアルバム「Water Music」(2004) の1曲目

*4:Der Zibetの2ndアルバム「Electric Moon」(1987) の9曲目

*5:MOTHER2に「フォーサイド」という町があって、それがなんやかんやすると「ムーンサイド」という町になるわけだけど、あの昼夜反転するような感じに、感覚的に近い