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business boy

文章にイラストを添えた何かをかいていく予定になっている場所です

深夜のエレベーター

おまえのくちびるの、上と下を、やさしくひらく。その先には、深夜のエレベーターがある。 左手でくちびるの上、右手でくちびるの下、その上下を支えながら、そのあいだに首をつっこむ。くちびるの黒い夜。その向こうは暗い闇。それは目を慣らしても暗い。ぴ…

うしなわれた1の話

座られることのない椅子のことを考える。感傷的な意味合いはないけれど、論理的なこともなにひとつないけれど、座られない椅子の椅子たるゆえんについて考える。そうだ、たとえば、1のことを考える。1は、数字であって、足されるものであって、引かれるもの…

秋のくだもの、腐燗する

夜の器の硬い面の内であざやかさを増してくる秋のくだものりんごや梨やぶどうの類それぞれはかさなったままの姿勢で眠りへひとつの諧調へ大いなる音楽へと沿うてゆくめいめいの最も深いところへ至り核はおもむろによこたわるそのまわりをめぐる豊かな腐燗の…

となりの芝生は本当に青い

庭の水撒きをするように奥さまにいわれて、雨がザアザア降ってるなか、濡れながら庭に水を撒かれたとか‥‥。と、京極夏彦が荒俣宏について語ったエピソードがある。撒かれた水は、降られる雨によってなかったものと同等になる。構造的に「降られる雨」の中に…

(死んだ魚のように)目を閉じておいでよ

わたしが河瀨直美の「殯の森」という映画を見ていたところ、お坊さんが「"生きる"には2つあって、ひとつはご飯を食べること。もうひとつは生きている実感を感じること。手をにぎられるとか、声をかけられるとか、そういうエネルギーを受けたときに、人は生き…

マルホランド・ドライブを3回借りて返して4回目に見た

わたしは特に何のおもしろみもない夜の道を歩いていた。 わたしはマルホランド・ドライブという映画をみた。マルホランド・ドライブマーケットという曲が好きだったからだ。3回借りて見ないまま返し、4回目に最後までみた。そこでは物語が死んでいました。物…

猫を猫として書く

保坂和志の「猫を猫として書く」という言葉が前から気になっていた。猫を登場人物の心理の説明として使わない、ということだそうだ。小説の中で「猫を猫として書く」。そこには「猫として書かれた猫による空洞」ができているのではないかと思う。その空洞は…