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business boy

文章にイラストを添えた何かをかいていく予定になっている場所です

うしなわれた1の話

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座られることのない椅子のことを考える。感傷的な意味合いはないけれど、論理的なこともなにひとつないけれど、座られない椅子の椅子たるゆえんについて考える。そうだ、たとえば、1のことを考える。1は、数字であって、足されるものであって、引かれるものだ。この1に、老いというものを重ね、関連づける。そうだ、1の人生について語ってみよう。若い頃は、1+1=2、まぎれもなく2であったはずが、(重ねられることのない)年を重ねるごとに、1は1のまま、鈍くなっていく。気づけば、1に1をたしても1.9にしかならない。2になる力がない。ああ。そしてそれは老成を重ねるごとに、1たるべく力を失っていく。いくら1を足しても、それは1.8にしかならず、1.7にしかならず、1.6にしかならず、1.5にしかならず、1.4にしかならず、1.3にしかならず、1.2にしかならず、1.1にしかならない。そして、やがて、なにも足されることはなくなる。1×1は1になりえず、1÷1は1になりえない。1は、微動だにしなくなる。いや、顕微鏡なんかでよくみると、かすかに足されようと、または引かれようと、草花のように、ふるえるように、微動しているようにも思える。そして、やがてそれは「カウントされるもの」という意味も失う。自らを忘れる。自失。私を忘れる。アイデンティティを失う。しかし。その時そこには、まぎれもない、足すでも、引くでも、自らをカウントすることでもない、かの、1の姿が見えてこないだろうか。
1たるゆえんである機能を失った1は、生きることをあきらめたかのように、その場に根をおろす。1のすがたのまま。やがて、1は、風化していく。ただの形象としての1になる。足されることも、引かれることも、自らをカウントすることもなく、孤島のモアイ像のようにたたずむ1。しかし、それはまぎれもなく、1のすがたであって、いや、1とは、もともとそういうものだったのではないだろうか?1が、老化して、死をむかえて、もはやそれは計算することも、数字になることもなく、1は1としてたたずんでいる。