読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

business boy

文章にイラストを添えた何かをかいていく予定になっている場所です

マルホランド・ドライブを3回借りて返して4回目に見た

f:id:sunaong:20160720000716j:plain

わたしは特に何のおもしろみもない夜の道を歩いていた。

わたしはマルホランド・ドライブという映画をみた。マルホランド・ドライブマーケットという曲が好きだったからだ。3回借りて見ないまま返し、4回目に最後までみた。そこでは物語が死んでいました。物語はあったのだろうけど、死んでいるように見えました。インターネットの解説を見ようとしてやめた。物語として回収されているような気がしたからだ。インランド・エンパイアという映画をみた。やはり物語は生きていませんでした。ワイルド・アット・ハートという映画をみた。ここには物語があったが、ここにも物語ではないほうに何か不可思議な印象がのこったのです。

物語が死んでいたら、そこには何が映っているのか。語彙がないので正確に言えない。たぶん、場面か。景色と言ってしまうと何かを失ってしまう気になるが、景色と言いたいような気もする。物語をみようと思ったのに物語は死んでいる。そうなるとそれは、ひたすら場面と景色を映しつづけるだけになる。わたしはそれをみていました。

ある日、西荻窪から長い道を帰っている途中、わたしが歩いている何のおもしろみもないはずの夜の道が、変わっている。道を照らす街灯。シャッターの奥にある車。明りのついた窓。車の後ろに広がる家跡。ぽつんとある家にスポットライトがあたっている。電飾。この景色は、物語ではない。だから、なんのおもしろみもない単なる景色だったはずだ。なぜだろう。

わたしは物語を見るつもりで映画をみたが、物語は死んでいた。そうすると、物語の物語ではない場面、景色、それらが強く自分の目に飛び込んできた。物語ではない景色になんのおもしろみも見いだせなかったはずが、映画が物語を見せないことによって、場面、景色を目の当たりにすることになる。物語ではない、わたしの歩く夜の道が、物語ではないままに、別の様相をおびてくる。

物語が物語であることをやめたとき、それは別の入り口を示す。それはたとえば、わたしの歩いているなんのおもしろみもなかった夜の道がなんともおかしなものに見えてくる、そんなものらしい。